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2015.08.13 Thursday

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    東京の下町と「もんじゃ焼き」

    2015.01.13 Tuesday

    私自身、(性格的に)下町向け?ではないと思うのですが、
    下町の雰囲気はすごく好きで、東京の昔ながらの町並みが
    残るところや商店街など、よさそうなところがあると散策に。

    月島に、「もんじゃストリート」というのがあると聞き行ってみると、
    その中心の西仲通り商店街に、何十数軒のもんじゃ屋さんが軒を連ねていました。
    かなり観光客向けではありましたが…。

    *うっかり、商店街ももんじゃ焼きも写真を撮るのを忘れてしまいました…。

    商店街の通りに面した場所には、少しきれいで新しめのお店が
    並んでいましたが、そこから、細い路地へ入ると、そこにも、
    その裏の道にも、たくさんのもんじゃのお店がありました。

    立ち寄ったお店の向かいには、鳥居のある古い家屋が。
    そして、その奥には、高層マンションが林立し、その脇には運河があり、
    商店街の真ん中に月島観音さまが…。
    バンコクの下町風景をちょっと思い出すような場所でした。

    深川のもんじゃ

    月島は、一番古い東京湾の埋め立て地として完成した町で、
    水上交通の大動脈であった江戸の隅田川に堆積した土砂により
    埋め立てられたのだそうです。

    重工業化が進み、鉄工所や機械工場地帯となり、隅田川や運河沿いには、
    たくさんの倉庫が並び、各地から労働者として、たくさんの人が、
    この地に流入し、住宅地としてにぎわっていったようです。

    また、当時は対岸の築地との間を渡し船が渡され、
    船着場に近かった月島には人が集まり、商いの場所となり、
    現在の商店街の原形が作られていったといいます。

    現在の月島の町並みは、近くに聖路加国際病院があることから
    太平洋戦争の戦火を免れ、当時の長屋の古い町並みが今も残され、
    趣ある路地が続いています。
    商店街の真ん中には、東京に現存する最古の交番もあり、
    今でも、警察OBの方が駐在しています。

    当時、商店街や路地裏には、子どもたちでにぎわった駄菓子屋さんが、
    たくさんあり、現在の「もんじゃ焼き」の原型といわれる「文字焼き」は、
    文字や絵を書いて焼き、子どもたちは「文字焼き(もんじゃ焼き)」で、
    文字を学んだのが「もんじゃ焼き」の始まりだという説があります。

    「もんじゃ焼」も「お好み焼き」同様、大阪発祥と思っていましたが、
    大阪のお好み焼き、東京のもんじゃ焼きなのですね。
    でも、当日も、関西からのたくさんの観光客の方が来られていたようで、
    心地よい関西弁があちこちから聞こえ、なんとなく、やっぱり大阪の方が、
    合うかなぁと思ったりしました。

    当時の月島に、労働力として大阪から出てきた人たちも多くいたことでしょう。
    そうした人たちが、東京に「もんじゃ焼き」を広めたのかもしれませんね。

    味はおいしいと思うのですが、やはりその見た目がなんとも…。
    外国の方たちは、これを何と思って食べるのかなぁと思ったりしました。

    *もんじゃファンのみなさん、ごめんなさい…。

    織り人
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